8月16日(火) |
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午前7時半に家を出て、バスターミナルへ
向かう。バスターミナルは想像以上に遠く
10分のつもりが25分も歩いてしまった・・
健康第一!
バスターミナルに向かう途中の朝市。
カラフルな果物が売られています。
人もいっぱーい! |
こちらがモスタルへのバス。
南米のバスよりキタナくてせまーい。
片道53クーナ1000円位です。ショーガナイね。
クロアチアのドブロクニクからボスニア・ヘルツェ
ゴヴィナのモスタルへは片道4時間で着きます。
この時は、なーんだ近いじゃーん!って思ったけど
日本で考えるとバス4時間って・・遠いよね、、
(感覚が狂っている・・笑) |
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途中2回の検問と入国チェックがあり、
何度もパスポートを出したけど、なんとか
ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルに到着〜!
こちらはモスタルのバスターミナル
クロアチアとあまり違わない感じ・・
でも街の雰囲気が暗い。。 |
ちなみに・・
バスターミナルのトイレは2クーナ(約40円)
ぽつんと置いてあるペットボトルのお水で
自分で流します。和式風ですね。 |
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ボスニアの
のらワンチョ |
観光名所となっているモスタルの石橋
「スタリ・モスト(世界遺産)」へと向かいます。
さっきまで気付かなかったけど、街のあちこちに
まだ弾丸のあとがそのまま残っていたり、修復
されていない壊れた建物がたくさんあります。 |
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左の建物は今にも崩れそうです。 |
1992〜95年のボスニア戦争の跡が今もそのまま残っています。 |
なんとなく暗い気分になりながら
とぼとぼ歩く。。
立ち話をするおじさん達。
この人たちも戦争経験者なんだろうな・・
でもおじさん、帽子がなんか変よ〜
ドンタコス? |
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観光名所の石橋が近づくと観光客で
いっぱいになってきました。 |
・・っていうか混んでる!
ボスニア、予想外に混んでるゾ! |
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目指す石橋が見えてきました。
橋の上も人でいっぱいじゃない??ヒェ〜 |
とりあえず一休み。写真ターイム!
この石橋は16世紀オスマン朝時代に建てられ
ましたが、1993年の戦争の最中に破壊されて
しまったそうです。1994年、再建され再び街の
シンボルになりました。ウツクシイわ。 |
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ではでは、渡ってみましょう。
橋の上はこんな感じ。 |
橋の中腹から。
エメラルドグリーンのきれいなネレトヴァ川です。
この川を挟んでイスラム教徒と
クロアチア人の居住区が分かれているそう。 |
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橋の端(ダジャレじゃないよ)には
Don't Forget '93 の文字が。
戦争反対! |
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橋の反対側へと渡りました。
おみやげ屋さんやレストランが並んでいて
きれいな感じはするけど、ここでもあちらこちらに
弾丸の跡が残っています。 |
レストランの屋根。壊れそう・・ |
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モスタルの美人マダム発見!
ここでランチをとることにしました。 |
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ボスニア産のビールです〜
色が薄い。
ケバブと一緒にいただきまーす! |
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食事が終わって橋を戻る途中
裸のにーちゃんが!
・・この橋から飛び降りるパフォーマンスで
お金を集めているのでした! |
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行くぞ行くぞ〜 |
飛び降りたー!!笑 |
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橋の下では、カヌーも一時避難。。 |
スタリ・モストとは「古い橋」を意味するそう。
3人で記念撮影☆ |
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帰り道も、廃墟がいっぱい。。 |
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ちなみに、この弾丸の跡は
こんな大きさです。 |
ズボッ |
これはマンションだったのかなぁ・・
ガラスが一つも残ってないようです。 |
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市内を抜けてバスターミナルへ
やっぱりなんとなく暗い雰囲気。 |
でも、ローラースケートをする美少女
2人組を発見。記念撮影☆ |
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さて、街の至る所に、これでもか!というほど
走っているこの派手なバスは、日本から
ボスニアへ寄付されたものだそうです。
日の丸まで付けて、ちょっと派手過ぎない?? |
帰りの車内。
満席状態です〜
狭いー苦しいー |
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無事にボスニア・ヘルツェゴヴィナから
クロアチアへ帰ってきました。
気軽に行ってしまったけど、あんなに
戦争の跡が残っていると思わなかったなぁ・・ |
戦争の傷跡残る観光地
モスタルでした。 |
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■ ボスニア・ヘルツェゴヴィナ情報 ■ |
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国は事実上の内陸国。
アドリア海に面した海岸線は10km足らずで港もありません。
国土の中央部をディナル・アルプス山脈が走り、2000m級の峰々が連なる山地の多い国です。
簡単に言えば、北部をボスニア地方、南部をヘルツェゴビナ地方と呼ぶび、これを合わせたものが国名となっています。
首都はサラエボで、1992〜95年にわたって続いたボスニア戦争により、今もなおセルビア人共和国側とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側の民族による住み分けがある。
<地球の歩き方より> |
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